リスタート



破産管財人が決まり法人の財産を清算し権利者に公平に分配できることになりました

それを待っていたようで、義父母は家に戻ってきました。

それを知った私の母は私達も家に戻るようにと指示しました。

そのころ、元主人との連絡は途絶え気味になっておりました。

家に戻ると以前と変わらないような暮らしが始まりました。

会社はなくなりましたが、義父母は規則正しい質素な生活を送っておりました。

違うのは私が働きだしたことだったかと思います。

長男は私学の小学校に通っておりました。次男も送り迎えが必要な幼稚園でした。

3月までは子供達の環境を変えないで過ごすことにしました。

私は知人の紹介から会員制Barで働き始めました。

子供がいても夜働けるのは同居のおかげです。

元主人の行方が分からないので私は少しでも収入を得ることを考えました。

Barのママは偶然にも元主人の大学の先輩で、私のこれからを心配してくれました。

どんな仕事をするにしても接客は大事だからと、社会勉強にと雇ってくださいました。

今までの生活・環境が少しずつ変わっていく入口でした。

脱出


その年のお正月も例年通りにお祝いをしました。

義父と義母、元主人の兄弟達とその家族でお墓参りをしてご先祖様にご挨拶に行くのがお正月行事でした。私達は長男夫婦でしたので義父母と同居をしておりました。マレーシアから里帰りをしていた弟家族達と賑やかに三が日は過ぎていきました。

お正月も過ぎていきすっかり通常の生活に戻りました。とある朝早く、義父母が荷物を運び出しておりました。

「しばらく隠れる」義父の言葉でその時が来たのだとわかりました。

バブル崩壊後、会社の経営が芳しくないことはわかっていました。

義父が社長で元主人が専務、義弟は常務で親族で西陣で商売を営んでおりました。

義父母は自分たちの車に荷物を積み込み二人で出ていきました。

私はいつも通りに9歳になる長男を学校へ、年少になる次男を幼稚園に送り出しました。

遅れて起きてきた元主人は私との会話を避けるように出ていきました。

暫くすると取引先だと思われる人たちが数名で家の勝手口から大声で「社長、社長」と叫ばれていました。

「もういないか。」

まるでドラマをみているようなことが起きてました。

(管財人が確定後、義父は取引業者様への支払いは完済しました。)

義父たちが慌てて出て行った理由がわかりました。

「このまま家で生活はできない」

悟った私は親友に連絡をしました。

事情を把握してくれた彼女はすぐに来てくれました。

大きな袋に生活用品を詰め込んで、息子たちに必要なものをいれて債権者達と鉢合わせにならないように彼女のお陰で手際よく家を脱出できました。

とりあえずは実家に戻ることにしました。

親友の彼女が私の代わりに事情を説明し、母に協力をしてくれるように頼んでくれました。